マラソン

昨日の鹿島小学校マラソン大会

6年生の,あるクラスは29名だが、内20名がインフルエンザや他の理由で

参加しなかったと聞いた。

マラソン大会当日にいきなりこれだけのインフルエンザ発症とは

信じがたい。走りたくないがためのとってつけた理由という

感じも否めない。

このことについて、簡単に良し悪しの判断ができない。

約40年前の自分の小学校時代には全員で走るのが当たり前という

雰囲気があり、このようなことはなかった。

集団の強制力が強かったのかもしれない。

今は個人優先でいやなことはしなくてよい、という風潮が

強いのかもしれない。

いやなことでも頑張る強い精神力が以前はあった。とも言えるし

個人の意思とは無関係に強制された、とも言える。

現在は、個人の意思が尊重される時代になったとも言えるし

いやなことからは逃げる軟弱な子、保護者が多くなったとも言える

かもしれない。

うちの塾生はしっかりと走った。

いつもは仕事で忙しいお母さんがなんとかやりくりをして

初めてマラソン大会を見に来てくれた姿を見つけたときは

泣きたくなったらしい。

親の行動が子の心をつくる。

私自身も父母からしてもらった行動は心に残っている。

さて、話は変わるが、久保田先生が国語が大切ということを

書かれていた。 http://blog.livedoor.jp/schoolsips/archives/20600393.html

私は高校時代、国語の成績が県で2位だった。

結局、小学生の時の取り組み方次第で国語の力は変わる。

それも高学年になってからでは遅い。

私の場合、はるかな記憶をたどれば

小学2,3年の時から、長い文章の中の主語述語にすべて

マークを付けるなどしていた。

授業中、先生がどんどん読み進めても、自分はそれとは関係なく

それ、これ、だから、したがって、しかし、などの指示語や接続語が

何を指すのかをひとつひとつ考えていた。

また、中学校入学前の春休みには毎日5時間ほど、ずっと漢字を覚えていた。

漢字の練習をしたのは、先生に教えてもらえなくても、テキストがあれば

ひとりで勉強できると考えたから。

それらすべての要素が集まらなければ国語はできないし、勉強もできない。

世の中の様々な事象に関するアンテナも持てない。

豊かな感受性も持てず、人の心の痛みがわからない。

「国語ができないんです」という言葉が出たらもう、勉強はできない。

その前に手を打たなければ。

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