塾をふりかえってみる

34才で鹿島に戻ってきた。

職業訓練校に通ったり、アルバイトをしたりして過ごし

36才で地元で開業する塾の教室長として採用された。

机やいすなどの備品を教室に搬入することが最初の仕事だった。

そこで1番最初に担当した生徒のことは今でも覚えている。

国語をマンツーマンで進めていき、『だから、それで、しかし、彼は』

などなど接続語や代名詞は何を指しているのか、誰のことなのか、また

主語は何であり、対応する述語は何であるのかを徹底的に意識するように

させた。成績表が3→5に上がった。

それが講師としての自信を持てた始まりだった。

3年勤めている間に、塾くらい自分でできるやろーと

出会う人々に言われる。あまりに言われるもので、その気になり開業を決意。

39才にして自宅の2階で開業。1年目で中3生が20人だった。

鹿島地区や明倫地区のお子さんにも来ていただいていた。

明倫地区から通ってくれていた小学5年の女の子がいた。

算数が苦手で繰り上がり、下がり、九九も出来ていなかった。

特訓を繰り返し、できるようになったある日、塾をやめますとの

連絡があった。本人が言うには、学校の友達から「なんでそんな

遠くの塾にいくの?近くのみんなが行く塾に行けばいいじゃない」

と言われたということ。同調圧力だ。

せっかくできるようになって、さあ今からというタイミングで他の塾へ。

くっそーと思った。

それと同時期に中1の女の子のお母様から「鹿島に出てきてください」

との言葉を頂いた。この2つが鹿島で塾をしようと決めたきっかけだ。

鹿島地区に移転して丸6年が過ぎようとしている。

その間、父が亡くなった。

こうして住まいまで鹿島地区に移ることになるとは思っていなかった。

人生は不思議だ。

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